明治九年、焼津の和田村に生まれた二十歳の若者、多々良與吉は、近隣で採れた米麦や野菜、そして当時地域で盛んに作られ始めていた手揉み茶を商いに致しました。その茶は清水港を経て横浜の商館へと渡り、太平洋を越え、亜米利加の食卓へと届けられたのでございます。それから百五十年、今また、同じ旅路が始まろうとしております。
創業者・多々良與吉は安政二年、現在の焼津市に属する和田村に生を享けました。弱冠二十歳で家業を興したのは、御一新からわずか九年、明治九年のことでございます。商いの品は、近隣の農家が育てた米麦、野菜、そして一軒一軒が手揉みで仕上げた茶葉でした。
当時、静岡の茶は急速にその実力を示し始めていた時期にございました。開港間もない横浜の貿易商館には、籠で火入れされた日本茶が続々と持ち込まれ、太平洋を渡って亜米利加大陸の食卓へと旅立っていったのでございます。與吉は清水港から横浜の商館へ茶を届け続け、その後およそ半世紀にわたり、自らの商いが足を踏み入れることのない英語圏の街々へと、茶を送り続けたのでございます。
昭和二十六年一月、家業は「株式会社多々良製茶工場」として法人化致しました。その頃には、長らく国運を支えた日本茶の米国向け輸出は既に下火となり、二代目・三代目は国内卸売への転換を進めておりました。以後、昭和三十年代から四十年代にかけて、弊社のトラックは「多々良印」の茶を積み、東京・神奈川をはじめ全国の小売店へと配達し続けたのでございます。
この時代の写真は、今見ても実に率直な迫力を湛えております。金文字で「うまいお茶」と大書された法被前掛けを身にまとった従業員の面々。新年の初荷の日、茶箱を満載した六台のトラックが連なる様。それは時代に堂々と向き合う茶問屋の姿そのものでございました。
昭和五十二年四月、弊社は社名を「長峰製茶株式会社」と改めました。これは東京の同業者・株式会社長峰との資本・業務提携に伴うものであり、東京・横浜という二大消費地において、茶の流通を今一度近代化せんとする志を形にしたものでございました。千代田、新橋、新宿と順次営業所を設け、横浜・東京には直営の小売店も開いて参りました。オンラインショップは平成十一年に立ち上げ、以来二十七年、今も運営を続けております。
この時期、工場の仕上げ師は静岡茶品評会に果敢に挑み、幾度も最高金賞を受賞致しました。平成二十二年には静岡茶品評会において農林水産大臣賞を、その後九年連続にて県の主要な賞を戴きました。合組室で続けられてきた仕事が、静かに、しかし確実に、公の場で認められていったのでございます。
長峰製茶は輸出業として始まった家でございます。百年の時を経て、その創業の向きは静かに陰を潜め、弊社の茶は八店舗の直営店のカウンターへ、全国数万の通信販売のお客様のもとへ、そして東京・神奈川の飲食店の厨房へと、もっぱら国内を流れてゆきました。
そして近年、潮目が、また動き始めたのでございます。世界が再び日本の茶を、かつて籠火で仕上げた煎茶を求めたように、求めるようになりました。「抹茶バブル」と言われるこの現象は、一過性の泡ではなく、静岡産の単一生産者碾茶を吟味する、成熟した国際的な需要の胎動であると、弊社は見ております。
創業百五十年を迎える本年、弊社は祖父が百四十余年前に歩み始めた仕事へと、今一度立ち返っております。すなわち、家の美学と本気で正対して仕上げた茶を、海の向こうの食卓へとお届けすること。二〇二六年抹茶ラインナップは、その新しい輸出の章の第一歩でございます。次代を担う者は既に、産地の茶師たちと共に、弊社が皆様にお届けする茶の仕込みに入っております。
本社・製茶工場は焼津に、直営店舗は静岡・神奈川・東京の三県にまたがる八店舗を展開しております。全国のお客様と日々対話を重ねることにより得られる感覚が、海外の提携先様へお届けする卸売商品の選定を、静かに支えているのでございます。
静岡県焼津市一色45(〒425-0011)。卸売・輸出業務の本拠地。
最大の直営拠点。喫茶とお茶の販売を併設しております。人気の「Muse Matcha」ソフトクリームはこちらにて。
昭和五十七年開店。東京・田端の地にて四十余年の歴史を刻んでおります。
昭和四十九年開店。弊社初の直営店舗にございます。
全国に直営店舗八店。小売のお取り扱いは nagamine.jp をご覧ください。